[本]ウェブ進化論

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

はてなで「近藤本梅田本」のプレゼントキャンペーンを見て、近所の本屋ですぐ購入。梅田氏の言う、ネットのこちら側の人たちが意気込むほどリアルなビジネスの世界の人たちはネットの世界の変化に気づかず、変化は静かに少しずつ進む、という発言に納得させられた。

「知の世界の秩序」再編へ

それは、詰まるところ「プロフェッショナルとは何か」「プロフェッショナルを認定する権威とは誰なのか」という概念を革新するところへとつながっていく。
英語圏では、分野限定的だがこの問題が表面化しつつある。ネット上の玉石混交問題さえ解決されれば、在野のトップクラスが情報を公開し、レベルの高い参加者がネット上で語り合った結果まとまってくる情報のほうが、権威サイドが用意する専門家(大学教授、新聞記者、評論家など)によって届けられる情報よりも質が高い。そんな予感を多くの人たちが持ち始めた。そしてこの予感が多くの分野で現実のものとなり、さらに専門家もネット上の議論に本気で参加しはじめるとき、既存メディアの権威は本当に揺らいでいく。

ネット世界の三大法則

「インターネット」「チープ革命」「オープンソース」という「次の一〇年への三大潮流」が相乗効果を起こし、そのインパクトがある閾値を越えた結果、リアル世界では絶対成立し得ない「三大法則」ともいうべき全く新しいルールに基づき、ネット世界は発展を始めた。
その「三大法則」とは、

第一法則:神の視点からの世界理解
第二法則:ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏
第三法則:(無限大)×(ゼロ)=Something、あるいは、消えて失われていったはずの価値の集積
である。

グーグルが作るバーチャル経済圏

そして実際に今、英語圏においては、グーグルの「アドセンス」で生計が立つ人が増えている。グーグルがが形成する経済圏の規模が大きくなるにつれた、小遣い銭程度から生計が立つレベルにまで個々人の収入規模が上がっていく可能性を秘めている。
グーグル自身が「情報発電所にカネを稼がせている」企業であるわけだが、その下部構造として「ウェブ(個人にとっての情報発電所っぽいもの)にカネを稼がせたい」膨大な個人や小企業によって構成されるバーチャル経済圏が構築されえようとしている。

ヤフー・ジャパン、楽天は、Web2.0に移行できるか

ロングテールWeb2.0は表裏一体の関係にある。キーワードは不特定多数無限大の自由な参加である。それがネット上でのみ、ほぼゼロコストで実現される。ロングテール現象の核心は「参加自由のオープンさと自然淘汰の「仕組みをロングテール部分に組み込むと、未知の可能性が大きく顕在化し、しかもそこが成長していく」ことである。そしてそのことを技術的に可能にする仕掛けとサービス開発の思想がWeb2.0である。

面白い人は一〇〇人に一人はいる

ブログが社会現象として注目されるようになった理由は二つある。
第一の理由は「量が質に変化した」ということだ。ブログの面白さ・意義とは、世の中には途方もない数の「これまでは言葉を発信してこなかった」面白い人たちがいて、その人たちがカジュアルに言葉を発する仕組みをついに持ったということである。いろいろな職業に就いて、独自の情報ソースと解釈スキームを持って第一線で仕事をしている人々が「私もやってみよう」とカジュアルに情報を発信し始めれば、その内容は新鮮で面白いに違いない。ブログの総数が数万のときと数百万となった今とでは、質の高いブログのそろい方がぜんぜん違う。・・・・・・・・・・
逆に言えば、これまでモノを書いて情報を発信してきた人たちが、いかに「ほんのわずか」であったかということに改めて気づく。そしてその「ほんのわずか」な存在とは、決して選ばれた「ほんのわずか」なのではなく、むしろ成り行きでそうなった「ほんのわずか」なのだ。これまで情報を発信してきた人たちの実力というのは、これまで発信してこなかった人たち全体のせいぜい上位一%くらいの層と同程度。特にビジネスや技術や経営といった領域が顕著で、芸術的な領域を除けば、たぶん他領域にも概ねあてはまるはずだ。そんな認識が少しずつ広がりを見せているところが、ブログノの本質を考える上で重要なポイントである。

メディアの権威はブログをなぜ嫌悪するのか

チープ革命の恩恵で表現行為のコスト的敷居がこれほど低くなる前は、表現した何かを広く多くの人々に届けるという行為は、ほんのわずかな人に許された特権だった。新聞・雑誌に文章を書く、ラジオで自分の作った音楽を流す、テレビで話す、絵本を出版する、映画を撮って全国の映画館で上映する・・・・・。こんなことができるのは本当に一握りの人だけだった。そうなるためには、テレビ局、出版社、映画会社、新聞社といったメディア組織とするヒエラルキーに所属するか、それらの組織から認められるための正しいステップを踏まなければならなかった。だから、既存メディアに権威が生まれた。
ロングテールの比喩でいえば、これまでメディア組織は、ロングテールにおける「恐竜の首」の部分を押さえてきた。誰がプロフェッショナルとして表現行為を行ってよいのか、国民全体の中で誰が「恐竜の首」部分の表現者なのか。プロフェッショナルを認定する権威は、メディア組織が握っていた。無数の表現者予備軍には、表現機会がほとんど与えられなかった。しかし、ブログの登場が、そのロングテール部分を豊かに潤し始めた。これまでは表現者の供給量を上手にコントロールしていたメディアだったが、ロングテール部分に自由参入を許すブログの出現によって、コンテンツ全体の需給バランスは崩れはじめたのだ。