*[本]それなら許す

それなら許す!

それなら許す!

「知らなかった」は免罪符ならず

言い訳といえば、「知らなかった」という言葉が代表格だろう。本当に知らなかったケースと嘘をついているケースがあるが、枚挙にいとまがないほど頻繁に登場する。
なかでも三菱自動車工業の「知らなかった」は大きな波紋を呼んだ。・・・・・同社はこの問題における記者会見で「知らなかった」を連発し、厳しい批判をあびてしまったのである。
こんな事例があったにもかかわらず、「知らなかった」はその後も多くの記者会見で経営トップの口から発せられた。
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「知らなかった」という言葉が良くないのは、西日本新聞も指摘するように、言い訳という印象を与えてしまうからである。的確で正当な理由がある言い訳は一定の効果を発揮するが、そうでもないものは無責任か無反省とみなされる。当然ながら、経営トップの「知らなかった」は後者だ。なぜならば、取締役なのだから、知らなかったことこそが問題なのである。もっとも恥ずべき事態であり、罪深いと自覚し、けっして免罪符にならないと思わないと思わなけらばならないのだ。
ならば「知らなかった」のかわりに、どんな言葉を使ったらよかったのか。私は「掌握できていなかった」あるいは「知る仕組みと努力が足りなかった」という言葉をおすすめしたい。なぜなら、「知らなかった」という言葉とくらべて、反省や後悔の念が強く感じられるからである。

曖昧にボカした謝罪

謝罪の言葉は相手の心に響かなければ意味がない。野球にたとえるなら、ド真ん中のストレートでなければならない。ところが打ち返されて恥をかくのを恐れて、変化球を投げてみたり、わざとはずして様子をみたくなる。それが曖昧な謝罪の言葉を登場させる原因である。繰り返すが「世間をお騒がせし」とか「遺憾」とか「道義的責任」という言葉は、はぐらかして”なんとか体面を保とうとする意図”がみえみえなのだ。

遺憾をいかんなく使ったデンソー

大手自動車部品メーカーのデンソー社員が銃の密造で逮捕されたとき、同社は「容疑が事実であれば誠に遺憾であります」とコメントしている(中日新聞・2001年十月十九日夕刊)。同社は、その約一年後にも社員による銃の密輸入が発覚したが、このときにも「社員が逮捕されたことは誠に遺憾で・・・・・」というコメントを出している(朝日新聞2002年七月十四日)。どうやら「遺憾」という言葉を使うことが習慣になってしまっているらしい。
「遺憾」とは広辞苑によると「思い通りにいかず心残りなこと。残念。気の毒」という意味だ。これをデンソーのコメントに当てはめてみると、「社員が逮捕されたことは思い通りにいかず心残り」か「社員が逮捕されたことは誠に残念」か「社員が逮捕されたことは誠に気の毒」ということになる。これがお詫びの言葉として世に出ていくのだから、恐ろしいかぎりだ。社会から許してもらえるわけがない。