*[本]「イスラム過激派」をどう見るか

「イスラム過激派」をどう見るか

「イスラム過激派」をどう見るか

同時多発テロ事件の衝撃

ビンラディンらアルカーイダの反米テロの直接的な動機は、米国のイスラム世界に対して繰り返される武力干渉だった。再び米国が湾岸戦争などと同様な軍事攻撃をイスラム世界に対して行ったことは、新たなテロの動機を与えるものだった。米国の干渉政策に対する反発の声は、アフガニスタン訪問の際に立ち寄った国々だけでなく、多くのイスラム諸国で聞かれるもので、イスラム世界では幅広く共有されるものだ。

教育や福祉を重視して成長

イスラム世界では、一九八〇年代以降、政府は教育や社会福祉にあまり熱心でなくなる。これは、中東イスラム諸国における経済の構造改革の開始と時期を同じくするものだった。世界銀行IMF国際通貨基金)など国際的機関が政府補助金を削減するよう勧告したことによって、教育や福祉事業から政府が次第に後退し、代わってイスラム組織による草の根レベルの運動がそれらの事業に着手していった。さらに、イスラム諸国政府は、財政支出削減のため、食料、衣服、医薬品などへの補助金をカットしたが、この措置もまた貧困層をいっそうの生活苦のもとに置くものだった。そのうえ、構造改革によって公務員の数が削減されたことは、大学など高等教育機関の卒業生たちの就職機会を奪い、これらの貧困層や失業した青年層がイスラム政治運動を支持していくことになった。

旧ソ連イスラム系諸国の「イスラムの脅威」

アフガニスタン北部でウズベク人の難民キャンプを視察する機会があった。そこにはおよそ三〇〇あまりのテントと、粗末な藁葺きの掘っ建て小屋があるのみで、一〇〇〇人の人々は食料も医薬品も全く不充分な環境で暮らしていた。難民の男たちは、テントや藁ぶきの小屋の中にカラシニコフ銃などをもっていて、必要があれば、いつでも戦闘に駆り出される態勢だった。経済的に自立できなければ、彼らは武装集団のメンバーになることによってしか生活手段を得ることができない。難民たちの劣悪な生活状況を放置しておけば、アフガニスタンは再び混沌とし、中央アジア諸国の安全保障にもマイナスの影響を及ぼすに違いない。