ヨーロッパ合衆国の正体

以前読んだ本「インテリジェンス 武器なき戦争(手嶋龍一 佐藤優)」で勧めていたものと思う。図書館で予約しておいた。
欧州の最近の勢いの背景が丹念に分析されている。

平和の構築--そして繁栄の追及

この構造のモデルとして、チャーチルが思い描いていたものは、誰もが簡単に目にすることができた−−「大西洋の向こう側の偉大な共和国」だ。ヨーロッパはアメリカ合衆国の形態に近づかなくてはならない、とチャーチルは説いた。テキサスとマサチューセッツ、あるいはアラバマオレゴンのように距離も離れ、気風も多様なアメリカ人が、自分たちの国家の枠組みのなかで、同じ国民だという感情を互いに感じあえるのであれば、ヨーロッパ人も、自分たちの「国家グループ」を必ず築くことができるはずだ。チャーチルはさらに続ける。「なにゆえ現れないのか−−この騒然とした、だが力強い大地に住む混乱しきった人々に、国を超えた愛国心と共通の市民意識を与えられるヨーロッパのグループが。そしてなぜ、そのグループが別の大きなグループと組み、人類の運命を方向付けるためのしかるべき立場に立とうとしないのか」
要するに、チャーチルが朋友たるヨーロッパ人に語ったのは、世界の舞台で平和を築き、卓越した地位を得る未来の道筋は、はっきりしているということだった。「我々は一種のヨーロッパ合衆国といったものを築かなければならない」・・・・・

一九四〇年代後半、ヨーロッパ統合運動を推進していたジャン・モネとその仲間たちは、さまざまなアイデアや手法、仕組みを模索していた。基本的にはヨーロッパ諸国間の自主的な同盟を創出させる方策だ。モネ自身が書いているように、統一への道筋をたどる第一ステップが重要だと思われた。・・・

一九五〇年の春、その機会が訪れ、モネはすぐに飛びついた。当時、西ドイツの経済は再生しはじめていた。アデナウアー政権は、アメリカとイギリスの後押しを受け、ルール川、ザール川の流域にある大規模製鋼所の再開を熱望していたが、この計画は、ドイツの近隣国に期待と恐怖の双方を抱かせた。疲弊しきったフランスとベルギーは、ドイツの工場に大量の石炭を売り込むチャンスだと胸を膨らませ、閑散としたオランダの港もドイツの鉄鋼産業が復活すれば、海運ブームに沸くことは確実だった。とはいえ、フランス、ベルギー、オランダの三国は、第一次大戦後のドイツが鉄鋼産業を復興させ、ルールやザールの工場から大量の砲弾や軍用機、戦車などを送り出したことを決して忘れていなかった。あの悪夢なぜ再現させなければならないのか。欧米どちらの政治家たちも、こうした論争と悲痛なジレンマをじっと見守るしかなかった。だが、あくまでも独創的なジャン・モネは、同じ問題に突破口を見出した。これぞ待ちに待ったチャンスだった。
ドイツ鉄鋼問題を解決するため、英仏米三カ国政府の首脳会談が一九五〇五月十日に開かれることになった。当時、フランスの外相だったシューマンは、何とか解決策はないかと友人のモネのもとを訪ねた。モネは早速、仏独両国の産業を統合する概略案を示してみせた。両国の石炭採掘と鉄鋼生産業を共同管理機構の下に置くという案で、簡単に言えば、フランスは石炭を売り、ドイツも鉄鋼を生産できるが、国境を超えた管理委員会が、石炭も鉄鋼も軍事目的には一切使われないように監視するというものだ。これは利益と平和に役立つ計画だった。