のぼうの城

豊臣秀吉による北条家討伐戦いの際、北条方の支城を総大将石田光成が攻撃したときの話である。
秀吉の指示は、

「佐吉(石田光成)、紀之介(大谷吉継)、正家(長束正家)の三人は、小田原表までわしとともに行き、宇都宮、佐竹ら関東の軍勢が着陣次第、北条家の支城を攻め落とせ」「軍勢は二万にもなろう。総大将は佐吉とする」
「関東の軍勢を引き連れ小田原を発したならば、まずは上州館林城を攻め落とせ」「館林城を落とせば、武洲忍城(おしじょう)をすり潰せ」

忍城城主は、成田家当主氏長。北条家が籠城するため、支城の城主は古法に則り、小田原城に入城した。城代は、氏長の甥にあたる成田長親、通称「のぼう様」だ。

−−のぼう様
とは、「でくのぼう」の略である。それに申し訳程度に「様」を付けたに過ぎない。

結局のところ、三成の頭脳をもってしても、成田長親という男はわからなかった。しかしながら、成田長親の持つ愚者としての一面が、強がりの家臣どもと、利かん気の強い領民どもの好みに見事に合致していることだけは確信できた。
「この忍城の者どもは、士分も領民も一つになっておる」
三成はそういうと、城をふり返った。
「所詮は、利で繋がった我らが勝てる相手ではなかったのさ」