「家計破綻」に負けない経済学

ラットレースより「ほどほど」

「金持ち父さん貧乏父さんというベストセラーを書いたロバート・キヨサキさんと話す機会があったとき、彼は、日本の中間所得層の働きぶりを指して、「ラッドレース」と呼んでいました。「死ぬほど働いているのに、結局疲れているだけで何も資産を残せない中間層が一番かわいそうだ」と。それはまったくその通りだと思います。
しかし、もっと上のほうで競争をしている「勝ち組」の人たちも、私たちには少しも幸せそうには見えません。資産家の息子のような場合は別、ですが、年収何億円も稼いでいるビジネスエリートなどはほとんどの場合、大変なプレッシャーのなかで働いています。ライバルにいつ寝首をかかれるか、競争から振り落とされはしないか、いつ株主訴訟で訴えられるか、常に気にしながら生きています。ちっともうらやましくない。むしろ気の毒なくらいです。・・・
サラリーマンが中流から落ち、どんどん年収が下がっていくと、いまの生活を失うのが怖くなります。しかし、そこで一番不幸なのは、会社に「魂」を売ってしまうことだと思います。会社が明らかな不正、法律違反をしているのに、命令に逆らえずに自分もそれに手を染めてしまったり、生き残りたいがために上に媚びたりする。そういうサラリーマンというのが、私は本当の「負け組」だと思います。
そこまでいかなくとも、家族との時間や趣味の時間を犠牲にしたり、無理をして身体や心を壊したりしてまで「ラットレース」のなかで頑張るより、「ほどほどでいいや」と達観するほうが、もっと楽で、豊かな生き方が<<できるのではないかと思うのです。

もうひとつの世界を持とう

私は、見栄やプライドというのは「過当競争」なのだと思っています。過当競争というのは、周囲に基本的に合わせたいのだけれど、ほかの人よりもちょっとだけいいものがほしいという欲求です。周りと同じでないと仲間はずれになってしまうが、まったく一緒では個性を主張できない。エルメスのバッグはほしいけれど、みんなと同じでは嫌なので限定品がほしい。それが見栄の本質です。
では、過当競争から抜け出すためにはどうしたらいいのでしょうか。私は、外の世界を知り、競争の小さな輪から抜け出すことだと思います。
たとえば、男性サラリーマンが過当競争にどっぷりと浸かるのは、同期や同僚という狭い世界で激しい競争をするからです。たとえその世界で仲間はずれになっても別の世界で生きる道があると思えば、無理をして仲間にあわせようとか、ましてや頭一つでも上回ろうなどとは思わなくなります。
ちなみに私にはコレクションの仲間もいれば、ラジオの仲間もいます。あまり売れない芸能人の仲間も、もちろんシンクタンクの仲間もいます。いつもすべての仲間たちと上手くいっているわけではありませんが、一つの世界がだめでも、必ず別に居場所があります。だから、見栄を張る必要がないのです。