ドキュメント 底辺のアメリカ人

暴動の街、絶望の街、モーターシティ・デトロイト

第二次世界大戦後、デトロイトの産業は機械化、即ちオートメーション化が進んだ。GMもフォードもクライスラーも、郊外に大きな工場を築いた。モーターシティは一見、好況に沸いているように見受けられた。しかし、1967年7月23日、デトロイトは再び暴動の街として知られることとなる。
同日未明、非合法で深夜営業を続けるナイトクラブが市警察によって摘発される。・・・11平方マイル以上が焼き討ちされ、33名の黒人を含む43名が亡くなる。負傷者は467人、逮捕者は7231人、最年少の逮捕者は10歳の少年であった。そして2509の店が襲われた。
当時、市警察の95%が白人であった。彼らは、24年前の教訓を活かさず、黒人市民に残忍な仕打ちを繰り返していた。2度目の暴動も、黒人たちの怒りがきっかけとなった。損失額の総計は4000万ドルとも言われ、現在の復興を果たしていない。