特攻隊振武寮 証言 帰還兵は地獄を見た

大貫健一郎(元陸軍少尉)
渡辺考(NHKディレクター)

菅原道大(第六航空軍司令官)
倉澤清忠(参謀)

「作戦参謀の倉澤である。貴様らなんだ、その格好は」
それが彼の第一声でした。彼こそが以降一六日間にわたって我々を心身ともに痛めつづけた倉澤清忠少佐だったのです。確かに我々は髪もひげも茫々、垢だらけの飛行服に破れた飛行長靴を履いており、誰ひとり出発時の面影を留めていません。
「なんで貴様ら、帰ってきたんだ。貴様らは人間のクズだ。」
我々は、炎天下で倉澤参謀から怒鳴られ続けました。
「そんなに命が惜しいのか。いかなる理由があろうと、突入の意思がなかったのは明白である。死んだ仲間に恥ずかしくないのか」
「沖縄に四万五〇〇〇人の敵兵が上陸したとき、貴様ら二八人が一〇〇〇人乗りの輸送船に突っこめば二万八〇〇〇人の損害を与え、皇軍の苦戦はなかった。全員切腹ものだ。」
とも言われ、反論はいっさい許されません。

上官たちの戦後

一方、海軍側の沖縄航空特攻隊の指揮官である第五航空軍司令官宇垣纏中将は同年八月一五日、鹿児島県鹿屋の飛行場に整列した二二名の特攻隊員の前に立ち、最後の訓令を行なった。
「神洲の不滅を信じ気の毒なれど、余の共を命ず、参れ」
宇垣は山本五十六長官から伝えられた恩賜の短剣を手に、指揮官の中津留達雄大尉機の後部座席に乗り込み沖縄に出撃した。
・・・・・
菅原中将と並ぶ海軍側の沖縄特攻作戦の最高責任者の出撃を受けて、第六航空軍の高級参謀のひとりが、菅原にこう要請している。
「重爆機を用意しますから、突っ込むお覚悟を」
そのとき川嶋虎之輔 第六航空軍参謀長と会食中だった菅原中将の対応は、毅然として断った、逡巡したなど諸説あるのだが、いずれにしても菅原中将がその要請を取り上げなかったことは事実である。
・・・・・相次ぐ海軍側の特攻責任者自決の報に接して、陸軍特攻作戦の責任者菅原中将は何を想っていたのであろうか。菅原中将の次男深堀道義さんに話を聞くことができた。
「父は自決すべきでした。」
驚くような言葉を深堀さんは発した。
「しかし前途ある若者たちを道連れにしなかったことが、せめてもの救いですね」
昭和二〇年九月の日記には、菅原中将は部下たちの進言もあって自決を思いとどまり、特攻隊の死者に対する慰霊顕彰が、自身のなすべき戦後の仕事と確信したと書かれている。