2011年新聞・テレビ消滅

プラットフォーム化

もうひとつのマスメディアの構造的な問題は、メディアのプラットフォーム化が進んでいることだ。
これまでの新聞は、「記事を書く人」「新聞紙面を作る人」「紙面を印刷する人」がすべて同一だった。つまり新聞社という企業の社員が記事を書き、紙面を作り、印刷して販売店に配達しているということだ。販売店は新聞社とは別の企業だが、「専売店」というかたちでネットワーク化され、囲い込まれている。
つまりは垂直統合である。紙面制作から印刷、流通、そして配達までがすべてひとつの新聞社の中で統合されているわけだ。
グーグルの及川卓也氏は、これを「コンテンツ」「コンテナ」「コンベヤ」という三つの層(レイヤー)に分けて説明している。コンテンツは記事そのものでコンテナはそれらの記事を運ぶ容器、そしてコンベヤは容器のコンテナを配達してくれるシステムだ。新聞で言えば、
コンテンツ=新聞記事
コンテナ=新聞紙面
コンベヤ=販売店
ということになる。

編集権を奪われる新聞

ところがネット時代になると、新聞記事の中でどの記事を読んでもらうかは、ヤフーニュース編集部のスタッフたちが決める。彼らが「この記事は重要だから、ヤフーのトップページにトピックスとして掲載しよう」と決めれば、それは数百万、数千万のネットユーザーたちが閲覧する重要な記事になってしまうのだ。

「マスメディア=神」という時代の終焉

メディア王として知られるニューズコーポレーションのルパート・マードック氏は二〇〇八年、オーストラリアの放送局ABCの講演番組に出演して、こう話した。
「以前は、何がニュースなのかを判断できるのは一握りの編集者だけだった。彼らは神のようにふるまっていたのだ。なにしろ自分がある記事を掲載すればそれはすなわちニュースとして話題になるし、あるできごとを無視してしまえば、そのできごとそのものがなかったことにされてしまうのだから。しかし今では編集者のこのような力は失われつつある。なぜならいくら編集者が特定のできごとを無視しても、多くの人はインターネット経由でそのできごとの詳細を知ることができるようになったからだ。それでもまだ満足できなかったら、自分でブログにそのできごとを書いたり、コメントしたりすることさえできるようになった」
そう、マスメディアが神である時代はもう終わったのだ。

ミドルメディアで情報大爆発

じゃあマスがなくなったあとには、いったい何がやってくるんだろう?
それはミドルメディアだ。
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インターネットの出現によって、ミドルメディアのような数千人、数万人ぐらいの規模の人にも情報を安価に送り届けることができるようになった。この結果、堰を切ったようにミドルメディアが爆発的に拡大した。
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人類の歴史の中で、これほど多くの情報が社会の中を駆け巡ったことは一度もない。そしてこのミドルメディアの情報大爆発は、これまでマスメディアが握っていたプラットフォームを実に見事に無力化してしまった。マスメディアのパワーは、ミドルメディア中心の世界ではまったく意味をなさなくなってしまったのである。

完全地デジ化と情報通信法

この流れは、二〇一一年に決定的になる。
完全デジ化と情報通信法の施行である。
テレビがアナログからデジタツに変わると、従来型のアナログテレビ受像機は使えなくなる。・・・この不況の折り、そう簡単にはすべてのテレビ受像機が買換えられるわけではない。・・・この結果、どの家庭でも二台目、三台目のテレビ視聴はケータイやパソコン、ゲーム機などに以降していくだろう。
さらに難視聴地域の問題がある。地デジの電波が届かない場所が大量に現れることが予測されており、これらの場所では地デジは電波ではなく、ケーブルテレビや光ファイバーのインターネット経由で視聴されるようになる。
これは従来のガッチリ強固に守られてきたテレビの三層モデルを破壊させる。

テレビ番組というコンテンツは変わらないけれども、コンテナとコンベヤはITに浸食され始めるのだ。

情報通信法で何が変わるか

総務省は完全地デジ化が行なわれるのに合わせて、二〇一〇年に「情報通信法」という新しい法案を国会に提出しようとしている。もし予定通りに進むのであれば、施行されるのは二〇一一年だ。
この法律がどのようなものかといえば、これまで「テレビは放送法」「電話やネットは電気通信事業法」とメディアによって分かれていた法律を一本化してしまうというものだ。
策定が進んでいる情報通信法案では、・・・コンテンツとコンテナとコンベヤの三層すべてを握っていたテレビ局の権益を思い切ってバラバラにしてしまい、コンテンツを作る側とそのコンテンツを流す部分を分離してしまおうという考え方なのである。この法律が施行されれば、テレビ局がどう文句を言おうが、コンテンツは電波からでもインターネットからでも、あらゆる伝送路を通って自由に流通できるようになる。つなりはテレビのコンテンツがオープン化されてしまうのだ。

次世代STBが握るカギ

次世代STB(セットトップボックス)は、次のような役割を持つ。
①地上波やケーブルテレビ経由、ブロードバンド経由で受信した番組コンテンツをパソコンなどを介在させずにまとめてコントロールできる。
②そのように受信した番組コンテンツを、大画面テレビやゲーム機、パソコン、携帯電話などに振り分け、それらの機器で見られるようにする。
③番組に広告を配信する機能を持つ。
④有料コンテンツの支払いなどを決済できる機能を持つ。

そしてこの次世代STBを握った企業こそが、間違いなくテレビというメディアの最強のプラットフォームになる。

マスメディアの必要性を問いかけるとき

アメリカではしばらく前まで、「新聞をどうやって生き残らせるのか」という議論が盛んに行なわれていた。ところが〇八年以降、新聞社がどんどん潰れだすと、もう生き残りなんか不可能だということが基礎的な認識として広まり始める。そうして議論の主軸はこう変わった。
「新聞のない社会で、われわれはどう生きていくべきなのか?」
具体的にいえば、次のような議論だ。
インターネットは新聞の役割を補完できるのか?
権力の監視を新聞社以外が担えるのか?
新しいジャーナリズムビジネスが生まれてきたとして、それらは公平な報道を担保できるのだろうか?
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つまり私たちにとって必要なのは、新聞やテレビじゃない。必要な情報や良質な娯楽、そして国民として知らなければならない重要なニュースにきちんと触れられるメディア空間だ。