経済危機--モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか

第3章 ITと金融が1990年代に世界を変えた
■金メッキで偽装されていた80年代の日本

80年代の日本の生産性は本当に高かったのだろうか?
日本企業の利益率は、高度成長期の8%程度から、80年代には5%程度に落ち込んだのである。こうなった基本的な原因は、欧米諸国との賃金格差が解消され、さらにアジア新興工業国との競争が始まったことだ。
80年代が日本経済の空前の繁栄期だったように見えたのは、量的に拡大したからだ。

■80年代の変化が90年代の繁栄を実現した

今振り返れば、90年代に世界を変えた原動力は、80年代に形成されたのだ。アメリカやイギリスは、70年代の後遺症として80年代を克服しようとしていた。それに対して日本は、石油ショック克服の成功記憶にとらわれ、70年代をいつまでも引きずった。この違いが90年代に明らかになる。

■ITバブルが世界を変えた

IT革命の進展に関して注意すべきは、古いタイプの企業が危機に瀕したことだ。大型コンピュータのメーカーだったIBMや、電話会社のAT&Tが特に大きな影響を受けた。
通常、バブルはあとにプラスの効果を残さないものだ。しかし、ITバブルは違った。
まず第一に、ベンチャー企業のすべてがだめになったわけではなく、いくつかの企業が生き残り、その後IT革命を推進した。
第二に光ファイバー施設が残った。
回線の高速化と常時接続ができなければ、インターネットは実用にならない。アメリカ企業がインドにコールセンターを置くというような変化は、これなしにはありえなかった。それ以外のアメリカからインドへのオンラインアウトソーシングも、これなくしては実現できなかった。それは世界を変えた。伝統的な大組織の力が相対的に低下し、産業革命以降の組織の大規模化が逆転した。アメリカ人の就業形態も大きく変わった。

日本では、脱工業化も21世紀型グローバリゼーションも起こらなかった

問題は、高度成長が終焉した後にも、統制的金融体制が形骸化しながら残されたことだ。都市銀行長期信用銀行は巨大組織となり、硬直的・閉鎖的・官僚的性格を強め、改革を嫌った。そして政府の規制に依存した。このような環境下で、金融革新は起こるはずかなかったのである。

日本もドイツも、中国が事実上の鎖国を続けて工業化しなかった70年代までは、世界経済の中で高い地位を占めることができた。その意味で、日本もドイツも冷戦によって大きな利益を受けたのである。
中国の工業化によって、世界的な分業体制の基本条件は大きく変わった。中国と同じことをやっている国が没落し、中国ではできないことに転換した国が成長したのである。