「当事者」の時代

新聞社は、読者にわかりやすい被害者を探し出し、その声を記事にすることで、加害者を糾弾する。社会の変革にはその被害者が必ず出てくる。ダムの建設凍結を打ち出した時には、ダムの町で建設に何年もかけて同意した人たちを弱者にしたてて、政府(=加害者)を糾弾した。
こういう報道姿勢の根本的な成り立ちを丁寧に説明してくれた。

このメディアの<マイノリティ憑依>に日本社会は引きずり込まれ、政治や経済や社会のさまざまな部分が浸食されてきた。「少数派の意見をくみ取っていない」「少数派が取り残される」という言説のもとに、多くの改革や変化は叩き潰されれてきた。
そういう構造はももう終わらさなければならない。
それは「少数派を無視せよ」ということでは断じてない。
なぜなら、メディアで語られる「少数派」「弱者」は本物の少数派や弱者ではなく、<マイノリティ憑依>されて乗っ取られた幻想の「少数派」「弱者」にすぎないからだ。
この乗っ取りからリアルの存在である少数派や弱者を救い出さなければならないのだ。
彼らが、物言わぬサバルタンの位置から救い出されるとき、彼らが「勝手に代弁する人たち」から救い出されるとき、そのときにまた私たちのメディア空間も私たち自身へと取り戻されるのだ。
今こそ、当事者としての立ち位置を取り戻さなければならない。

ここに至る過程で、<マイノリティ憑依>が定着する歴史的な背景として、米国では奴隷解放の時代の論調、日本ではベ平連の運動や学生運動の論調の変化の過程から説明している。
また、事件記者の警察幹部との<夜回り共同体>の関係性を著者自身の体験を生々しく語ることによって、導いている。

小田実の<被害者=加害者>論。
津村喬の「われらの内なる差別」。
戦後初めて台頭してきた、新たなマイノリティへの視線。それは一九六〇年代までまったく放置されていたアジアの戦争被害や在日朝鮮人アイヌジェンダー差別など、さまざまに隠されていたマイノリティの社会問題を一気に表舞台へと押し出し、可視化させる役割を果たした。