- 作者: 津本陽
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 2001/10
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
織田信長と天皇制
「本能寺の変というのは、私はやっぱり義昭が光秀をそそのかしたんだと思うんです。光秀は織田政権の行政官僚のトップで、丹波四十二万石、代官領三十万石、それで近江の坂本城と丹波の亀山城を持っている。だから信長が光秀を閉却していたということはないとおもうんです。(津本陽)」
戦国英傑の決断力に学ぶ
「小牧・長久手の戦いで家康に痛い目にあいましたね。
あれ、勝っておれば秀吉は将軍になったと思うんですよ。結局負けたので秀吉は東へ攻め込むことができずに、征夷大将軍の構想が挫折してしまった。そうすると次は関白をねらう。うまい戦略だと思いますね。(今谷明)」
「明治のお雇い軍事顧問のドイツ人メッケルは、関ヶ原の布陣図を手にして「ああ、これは東軍の大敗だ」と断言。勝敗を事前に知らされていなかったからですが、専門家が診ても、こうなのです。(津本陽)」
「毛利は百十二万石から長門、周防の二カ国三十七万石に減封。きれいに空手形をつかまされました。その後の主君家臣の忍苦はすさまじいもので、これが明治維新の引き金のひとつになったのは、真実でしょう。あのとき、全力で家康に当たっておれば道は開けたであろう。もう少し勇気があったら・・・・。慙愧の念が一藩をつぶす覚悟で幕府と向かいあう、心構えの根本にあったと思われます。(津本陽)」