*[本]下流社会

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

中流社会から下流社会

市内のスーパーにある書店で購入。
1950年代生まれの私が少年のとき、家に家電製品が毎年1つずつ増えていった。去年はテレビ、今年は冷蔵庫が来た、という感じだ。父親が頑張って働いて、生活がだんだん便利になっていくという実感があった。車を持つ家庭は極めて珍しかった。父親が中古の軽自動車を買ったときにも、自分が将来自動車を持つとは想像できなかった。
私の子供たちにはこうした感覚はないだろう。彼らが成人になった自分たちがどういう生活をするのか、今後見込まれる階層化社会の中でどう生きていくのか、楽しみでもあり、不安でもある。

中流化から階層化へのトレンドシフトは、これまでのビジネスモデルを無効にし、新しいビジネスモデルを必要とするのである。
ところが日本の企業は、膨大な中流のためにたくさんのものを売るという仕組みでしか動けないようなところがある。生産ラインもそのように組んである。社員の数の多い。だから利益率が低くても売上げが多いことを求める。
しかし、階層化が進めば、今までのように「中」に集中して大量生産するだけでなく、「上」には「上」のためのものを売るという戦略も求められる。
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思えば、トヨタクラウンの発売は1955年である。55年体制の始まりとともにクラウンは登場し、その後、カローラ、コロナ、そしていつかはクラウンという典型的な階層上昇型消費モデルを提示することでトヨタはフルラインナップ型の大企業へと成長した。まさに一億総中流化時代を象徴するのがクラウンなのだ。
そのトヨタが「一部の富裕層」に向けてレクサスを投入する。それはきっと「いつかはレクサス」という形では売られないであろう。それが2005年体制というものなのである。

あとは悪くなるだけという不安---普通の人に展望がない

現在の30歳前後の世代は、少年期に非常に豊かな消費生活を享受してしまった世代であるため、今後は年をとればとるほど消費生活の水準が落ちていくという不安が大きい。これは現在の40歳以上にはない感覚である。
現在の40歳以上の世代の場合は、少年期は貧しく、20代、30代と加齢するにつれて消費生活が豊かになり、生活水準が向上していった。だから、仕事が大変でも耐えることができた。簡単に言えば、アメとムチがうまく機能した。
ところが、現在の30歳前後の世代は、少年期の消費生活が豊かすぎたために、社会に出てからは、自由に使える金と時間の減少としか感じられない。これから結婚して、子供を産もうとする年齢の時に、将来の消費生活の向上が確信できないのだから、階層意識が一気に低下するのもやむをえないであろう。
だから、極端に言えば、こんな時代に結婚するのは、将来への希望のある人と、希望も計画もなく、「できちゃった婚」をしてしまう人のどちらかだと言うことができる。普通の所得の人が、今後の所得の伸びを普通に期待しながら結婚し、子育てをするという展望が描きにくい時代になっているのである。

希望格差

このように、高度成長期は、低い階層の人ほど多くの希望と可能性を持ち、高い階層の人ほど、それまであった権利を縮小された時代であり、その意味で、個別具体的な事例はともかく、総じて言えば、希望格差が縮小する時代であったと言える。
しかし、現在は、将来の所得の伸びが期待できる少数の人と、期待できない多数の人、むしろ所得が下がると思われる少なからぬ人に分化している。多くの人が共有できた上昇への希望が、現在は、限られた人にしか与えられない。しかも希望が持てるかどうかが、個人の資質や能力ではなく、親の階層によって規定される傾向が強まっている。